本ブログのご挨拶
このブログについて
このブログは、中学時代父親と富士山登山に始まり、都立豊島高校のワンダーフォーゲル部を経て、2017年までに登った山々の登山の日誌からブログに張り替えて編集したものです。今後も、少しずつ過去を振り返りながらブログの更新を行っていく予定です。山日誌のアップデートの順序は時系列ではなく適当なので、プログ更新記録で最新の更新をご案内していきます。
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年を重ねるにつれ本格的な山登りから遠ざかりましたが、2017年8月には北海道大雪山の黒岳へ登頂しました。日本百名山で言えば、ゆうに半分以上登頂しています。プロフィールにも案内していますが、2017年11月に重度の急性心筋梗塞を発症し、多くの心筋細胞を喪失しました。リハビリを経て日常生活には何とか戻れましたが、重労働の登山を再開するのはかなり困難となりました。しかし、生活習慣の改善と日々の生活や週末の軽い運動などを行うことで、いつかは低山から3,000m級の山に再挑戦したいと考えています。
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来年7月には還暦を迎えますが、子供も成人となり、いつ再発するかもわからぬ心疾患ですが、残された日々を壊れかけた肉体を振りしぼって、出来ることにいろいろチャレンジして行きたいと思っています。また山歩きができるようなら、新しい山日記も追加したいと思っています。よろしくお願いします。
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日々のライフスタイルを書き記している「Startearsの人生最後のチャレンジ日誌」ブログ」ともども、SNSのフォロアー、ブログの読者になっていただける方、歓迎します。
難易度、技術的要素のクラス分け
評価基準は、その時の天候、コース状態、季節、あるいは積雪状況等によって異なります。また、荷物の重さによって体力的要素も異なるので、あくまで山登りを行った時の条件において、独自に評価したものです。
体力的要素
- ●:比較的楽な工程で、激しい登降はない。一日の歩程は、およそ5時間以内。
- ●●:やや登降はあるが、普通の体力があれば十分。一日の歩程は、およそ4~7時間。
- ●●●:登降が多くなり、やや健脚向き。一日の歩程は、およそ7~9時間。
- ●●●●:十分な体力と精神力を要する健脚向き。一日の歩程は、およそ8~11時間。
- ◎:相当な体力とともに、相当な精神力を要する。健脚向き:一日の歩程はおよそ11時間以上。
技術的要素
- ★:技術的困難さはまずない、ハイキングコース。初級、入門向き
- ★★:特殊技術を必要としない、一般向き。
- ★★★:特殊技術を多少要する場合もあるが、困難さはさほどない。中級向き。
- ★★★★:一般コースとしては最も困難度が高く、特殊技術を要する。やや上級向き。
- ☆:バリュエーションルートとして、は困難度が比較的小さいもの。上級向き。
- ☆☆:バリュエーションルートとしては、困難度が中程度のもの。熟達者向き。
- ☆☆☆:バリュエーションルートとしては、困難度が高いもの。最上級者向き。
諸要素
- △:積雪期および残雪期の入門的コース。冬山入門向き
- △△:上と同じく、アイゼン、スパッツ程度の持参を要するもの。冬山初級向き。
- △△△:本格的装備を要するが、比較的冬山としてはポピュラーなコース。冬山中級者向き。
- *:相当の激しさを覚悟し、熟練を要するコース。冬山上級者向き。
- ❖:鎖場などの初歩的な岩場が含まれるコース。
- ❖❖:一般コースではあるが、難度がやや高い岩場が含まれるコース。
- ❖❖❖:一般コースの中でも、かなり難度が高い岩場が含まれるコース。
谷川岳から蓬峠 ●●●★★❖
山の歴史と概要
谷川岳というと、ちょっと山の知識のある人に言わせると、「ああ、よく人が死ぬ山だな」という答えが返ってくる。「魔の山」...左様、東面には、マチガ沢、一ノ倉沢、幽ノ沢など、人を拒絶するがごとき岩壁、岩稜群に守られ、さらに冬期はすさまじい豪雪と極低温下の世界となる。さらには、四季折々、山もやや、ガスに囲まれて、晴天に日は少ない。そして今まで何人の人々がこの山に眠ったことpであろうか。山麓に建てられた遭難者慰霊碑の広場の前に立つと、数多くの楽人の無言の語らいが聞こえて来るようだ。
谷川岳は、日本海と太平洋のちょうど中間点に存在し、両方の異質な気流が上空でぶつかり、天気が悪い日が多い。「トンネルを出れるとそこは雪国であった」との書き出しで始まる川端康成の「雪国」」という小説は有名だが、このトンネルは谷川岳を貫いている清水トンネルである。山の両側では、それほど天候が異なる。
山域を大きな視野でみると、三国峠、平標山から谷川岳へと続く、途中に仙ノ倉山という最高峰を含めて、東に延びた稜線は、谷川岳で南北に別れ、北は一ノ倉岳、蓬峠、清水峠を経て巻機山へと続く。南は、天神峠から吾妻耶山へと標高を落とす。さらにジャンクションピークから南へ派生する山稜上には、朝日岳、笠ヶ岳、白毛門と温和な山を作る。
この山の歴史は、当面岩壁の初登攀争いと、遭難の歴史と言って良く、初登攀はともかく、遭難の歴史は今もなお刻み続けている。この日も滑落者が出たそうで、それを知ったのは下界で僕たちを案じてくれた友人の一人から聞いたものだった。
秋の、俗に言う「日本晴れ」とか、「小春日和」とかは、移動性高気圧によることが多い。この日は、東西に広い高圧帯の中に日本列島がすっぽり収まり、晴天の少ない谷川岳に絶好の天気が訪れた。アリューシャン南海には台風から変化した低気圧があり、一方、日本海には移動性高気圧が勢力を張っている。 日本は、広い帯状高気圧に覆われている。ここ2日程度は晴天が続く見込み。谷川岳においても、少ない晴天を得るチャンスが得られるチャンスかもしれない。 山行中の天気概況は、昼頃、風が一時強くなったが、予想通り晴天であった。行動にも支障なく、良い山行ができたと思う。 全体的に危険な所は少ない。ポイントは、西黒尾根の憬節小屋跡から肩の小屋の間と。谷川岳オキの耳から一ノ倉岳。前者は、所々ガレ場の落石を注意することと、氷河の跡のV字状クラックを北側からトラバースする点。後者では、一ノ倉沢が絶壁で、滑落、落石に注意。しかし、岩場もほとんどなく、ルートそのものは易しい。巖剛新道を夜間に登る時は、少しわかりにくい箇所がある。その点については、前期の詳細ルートを参照のいこと。西黒尾根のラクダの背のクサリ場も難しくはない。蓬峠から土樽駅の下り道は、長く足が痛む思いだったが、黒金沢出合まで車道が来ている。 快晴 上野駅(23:20)⇒上越線、急行佐渡7号、¥1,900[¥700])⇒水上駅(2:19, 2:38)⇒(上越51線)⇒土合駅(2:49, 3:05)→ロープウェイ駅(3:26, 3:31)→[0:05]→西黒尾根登山口→[0:20]→巖剛新道入口(3:55)→[2:00]→憬雪小屋跡(6:07,6:20)→[1:30]→谷川岳肩ノ小屋(7:43 スポンサーサイト 谷川岳へ行くことを友人の一人に話すと、話のはずみで同行することとになった。彼の愛称は金太。上野駅で顔を合わせて最終の急行列車に乗る。王寺駅の駅前で買ったタコ焼きの包みを開くと、腹をすかしたかれがたちどころに平らげ、さらに駅弁をほおばる食欲には関心した。二人とも昼寝をしてくる約束ではあったが、忠実には実行していない。列車内で寝ようと思っても、山へとはやる気持ちが、どうしても熟睡を妨げる。 [7:50 肩ノ広場] 茂倉岳(右)は、本山行の最高点。[9:15 谷川岳オキの耳] [9:15 谷川岳オキの耳] 一ノ倉沢の岩壁がものすごい。それにしても、万太郎沢側のスロークといい、美しい山だ。[10:15 一ノ倉岳] 地図を片手に、ようやくついたわい、といった感じ。[10:15 一ノ倉岳] [11:00 茂倉岳] [11:00 茂倉岳] 青空と、色とりどりの紅葉と、頭上に聳える秋の山[12:30 笹平] [12:30 笹平] お疲れ様。最後の山頂に到着です。[13:00 武能岳] なだらかな草原の中に黄色の屋根が映える。秋の青空の下を、ぶらぶらと歩く楽しさ。山の空気も実にうまい。[13:00 武能岳] スポンサーサイト行程概要
期日
1980年10月5日(日)
日程
前夜発日帰り
行程
9時間35分(20 km)
メンバー
2名
地図
越後湯沢~四万(国土地理院)
交通費用
5,200円
宿泊費用
-
谷川岳~蓬峠MAP
登山高度/距離グラフ
天気概況
天気図からの天候予想
実際の天候状況
コース状態
山行記録
1980年10月5日(日)
天候
コース&タイム
食事
山行日誌
br> 水上駅で普通列車に乗り換えると、そこは登山者専用とも言うべき空間であった。大半の人が土合駅で下車し、僕らもその集団に混ざり、改札口までの長い階段を登る。486段だったが、とにかく地上に着くまで約10分かかる。
土合駅を後にし、車道に沿って踏切を渡り、山の家への道を見送る。間もなく暗がりの中からロープウェイ駅が見える。車道を離れ、階段を登ると、再び車道に出て登山センターの小屋に着く。ここで登山カードを提出する。この先を少し行くと、西黒尾根、巖剛新道と書かれたケルンがあるが、西黒尾根を起点から登る際には、このまま車道を取らなければならないようだ。ここからの細い道は、上で再び車道に出る。おろかにも西黒尾根の起点を見逃した僕らは、やむなく巖剛新道を取るため、車道をつき進んだ。<br.
巖剛新道入口で軽い準備体操をして、登山道を辿る。専攻のオジさんの後ろを歩いて行くうちに沢床を歩いていることに気付いた。このまま行くとマチガ沢の上部に出るのではと思って引き返したが、案の定、道は一度沢の左岸に渡り、再び右岸に戻るように付けられていた。夜道をヘッドライトの光だけを頼りに歩くのは、視界が狭いだけに迷い易いものだ。第3の失策は、さらに登山道を歩いているうちに西黒尾根からの小さい支稜を辿る細いふみ跡に引っ掛かり、正規のルートを外れて強引に西黒尾根まで出てしまったことだ。かなりの急登だったが、ラクダの背の中間部に出て、クサリをからませること2,3か所で、憬節小屋跡(ガレ沢の頭)に出た。
東の空、そう、ちょうど朝日岳の辺りから日が顔をだしている。山のすがすがしい朝だ。高校2年のとき、山仲間と雨に濡れながら縦走したあの山稜が懐かしい。そしてさらにさかのぼることその1年前、この「コースを僕は辿っていたのだ。天気はそのときよりすがすがしい快晴で、その時と同じく、やはり肩ノ小屋までは急登のようだ。それにしても、谷川岳でこんなに晴れるなんて珍しい。同行の彼氏は、自分がお天気男だと強調するのだが...
岩を巻いたり、またいだりして急登w続けると、氷河の跡というところに出る。ルートは右側をトラバースするようになっているが、無謀なリーダーこと、この僕はV字状クラックを直登。このあと少しの登りで、肩の広場に着く。ここで朝食を取り、頂上(トマの耳)に向かう(肩の小屋では、水は得られない)。目と鼻の距離だ。頂上からの眺めのすこぶる良いことはこの上ない。青空の下にゆうゆうとしている巻機山、そして万太郎さんから仙ノ倉山、一ノ倉岳から茂倉岳、朝日岳、白毛門の山並み。西には苗場山、当面には日光の奥白根、再来を期す上州武尊山、尾瀬の至仏山、燧岳、皇海山。そしてはるか富士も顔を出してほほえみかけてくる。その頭には、もう純白のドレスを纏って...
トマの耳からオキの耳へは一投足。頂上より下るとやぐらがあるノゾキと呼ばれる場所に着く。ここから一ノ倉沢岩壁を覗くと、目の回る思いだ。ノゾキから一の倉岳への登り返しは急登で辛いが、そのかわり距離は短い。頂上には避難小屋があり、中芝新道が分岐している。この山稜上の峰はどこも展望は良好で、それぞれ違った感動を呼び起こしてくれる。北面から見る谷川岳の双耳峰は、美しく見惚れてしまった。
一ノ倉岳から少し下ると、草原状の場所に出る。一ノ倉沢の沢の名前を取ったにしては、一ノ倉岳そのものは柔和で大きい。一ノ倉岳から茂倉岳は、穏やかな尾根を辿って行くと、あっという間に着く。茂倉岳山頂も小美禄、行く手に武能岳が鮮やかな紅葉を纏っている。ここは、今回の山行の最高点。山の緑と、紅葉の紅と黄色の装いに囲まれて、思いっきり背伸びしたくなるくらいだ。昼食は、コーヒーとミルクティー。ここが「魔の山」なんて、誰がお乞うことだろう。辺りを見ても容器に笑う草木、山々、青空。そして、草原横になって昼寝をむさぼっている人、パンを口一杯にほおばっている僕達...
茂倉岳を下り、武能岳に取り付くまでの間は、結構長かった。下るときに、足の筋肉がひきつったが、いつものこと...何とかごまかしながら歩く。頂上に着くと、草原の中に帰路胃小屋が見下ろせる。蓬峠は、一面が広大な草原だった。頂上を後にし、快速で飛ばすとヒュッテの前に出る。コーラを買って、一息つくとしよう。峠からは、東に土合駅への道を下り、西に土樽駅への道が下る。ここは、土樽駅方向に下ると、7分程で水場の茶入沢に着く。この後の山腹を巻く道の長いことといったらなかった。おかげで、左右両足2ヶ所ずつ、計4ヶ所にマメを作り、足が痛かった。東俣沢で一休みすると、黒金沢を経て車道に出る。茂倉新道分岐を通過し、舗装道路をしばらく辿ると土樽駅に出る。益に着くと、思い足をほおり出して腰を下ろしてしまった。水上駅で駅弁を買って、それが腹に収まると、赤羽駅までぐっすりと眠った。次は、是非、平標山からの縦走をしたいと思った。
フォトアルバム
谷川岳をもっと知るためのウェブサイト
谷川岳をもっと知るための本、地図、ガイドブック
積雪期の茅ヶ岳(1,704m)~金ヶ岳 ●●★★★△△
茅ヶ岳(1,704 m)とは
茅ヶ岳(1,704 m)の歴史云々の資料はないが、韮崎の駅前から見ても立派な山容を持っている。通称、「ニセ八ツ」とも呼ばれるが、なるほど八ヶ岳のミニチュア盤だ。さしずめ、大明神岳が八ヶ岳で言う天狗岳、茅が岳が硫黄岳、金ヶ岳南峰が横岳、北峰が赤岳といったところか。そうして、槍岩なども小同心に見立てれば面白い。さて、y団はそこまでとして、茅ヶ岳の山容は八ヶ岳とはまた違ったニュアンスを持っているのではないか?というのは、八ヶ岳の華やかさ、人気度に比べ、こちらは地味で目立つ山容ながら人の姿も少ない。都心から見ると、大菩薩や乾徳山の方が茅ヶ岳よりも近くて、高く、また明るいイメージを受ける、前者は、2,000m級の山、校舎は1,000m級の山としてもボーダーラインを引かれる。しかし、僕は大菩薩嶺よりも黒川鶏冠山、乾徳山よりも茅ヶ岳の方に魅了される。それは、この山のイメージに付け加えて、尊敬する深田久弥氏の終焉の地としてでもあろう。
下記は当時のMEMOです。こちらが現在の交通機関の情報となります。 8:08⇒ 10:30⇒ 12:25⇒ ⇒ 13:15⇒ 16:54⇒ 17:39⇒ 18:24⇒ 雪のち晴れ 天気図より、28日の午前中は天気が悪く、午後から回復に向かうだろうとの予想をもとに行動した。夜半、雨が降っており、朝になって雨は止んだが、山に入ると再び空が暗くなり雪となった。しかし、ひどい降りではなかったので、空を伺いながら行動を続行する。稜線に出た頃には雪は止み、鳥がさえずっていたので天気の回復の兆しが見えてきた。午後になって、西の方から青空が広がり、良い山行を楽しむことができた。 全般的に積雪量はわずか(2~3cm)だが、冬期にこの山に登る人は少なく、とれ~るもない。かやが岳からキレットへの下り、金ヶ岳南峰からの下りは、急で雪面もクラストしているので、状態によってはアイゼンも必要、金ヶ岳北峰から浅尾原の下りは、頂上直下が岩尾根で、やせているからスリップに注意。しかし、下るにつれて尾根も広がり、雪も少なくなる。道がぬかっているうえ、枯葉がかむっているので滑りやすい。だが、コースは明瞭で、気を付ければ特別のテクニックは要しない。 新宿駅(23:55)⇒(中央本線、¥1,600)⇒韮崎駅(3:32、7:08)⇒(山梨交通バス(¥220)⇒穂坂柳平(7:25, 7:27)→[1:00]→登山口(8:15, 8:23)→[1:20]→饅頭峠分岐(8:28)→女岩(9:50、10:00)→[0:40]→大明神岳・茅が岳鞍部(10:37, 10:47)→[0:20]→「深田久弥先生終焉之地」木柱(10:55)→茅が岳(11:14 中央線韮崎駅に着いたのは夜中の4時前。リュックを背負っている登山者が数人下車しただけで、しかも僕を除けばみな金峰山に行く一だ。冬の夜、駅で過ごす4時間。実に寒いというその土合は、石油ストーブをゴウゴウたき、炬燵に丸まってみかんを食っている都会人にはわかるまい。あさの冷機でうつらうつらすると、すぐめ目が覚める。こようなことを数回繰り返した後、やっとこさ外が明るくなり、始発列車に乗り込む一が目に付くようになる。腹が減ったら持参の特性サンドイッチスペシャル版をほおばる。な、なんと今回はタマゴサンドも入っている。そして、暖かいウイスキーティーを飲むと、一時的ではあるけれども身体が温まる。さて、ではお料理教室... ミルクを加温し、コーヒー、フラニュー糖をかき混ぜながら溶かす。沸騰したところで、バターの小片を入れ、弱火で溶かして出来上がり。 スポンサーサイト 登山ガイドブックと言えば、昔から「ヤマケイアルペンガイド」でした。現在では、山と渓谷社のYamakei ONLINEに、その情報や地図が無料公開されて大変ありがたいですが、やはり本を読む時ならではのバーチャル登山の妄想が楽しいものでもあります。 谷川連峰から苗場山、武尊山までカバーする定番の登山地図です。現在ではスマホのアプリ(お勧めアプリ:山と高原地図)でもコースや大体の現在が見られるようになって大変便利になりましたが、落としたりなくしたり、電池切れなどの時にコースが確認できなくなって途方にくれなくならないよう、現地地図と磁石は必ず持参しましょう。地図と磁石がないと、山でスマホの機能を喪失したら、遭難にもつながる危険性がありますので。 スポンサーサイト 行程概要
期日
1980年2月28日(木)
日程
前夜発日帰り
行程
6時間25分
メンバー
単独
地図
韮崎・御岳昇仙峡(国土地理院)
交通費用
4,020円
宿泊費用
-
参考資料(バス時間)
韮崎駅⇒穂坂
朝雄⇒韮崎駅駅
アクセス
●バス:
●ルートマップ:
山行日誌
1980年2月28日(木)
天候
天気概況
天気図を見ると、北高南低ガタの気圧配置となっている。この時は、表日本の、特に海岸部に近づくほど天気がぐずつく。南大東島の低気圧を見ても、その北側に比較的広い雨域を持つので、27日夜半から28日朝にかけて山間部でも雨や雪をもたらした。しかし、大陸方面からの移動性高気圧が張り出して来ているので、西の方から天気も回復し、低気圧は足早に去り、天気の崩れも反日程度で済んだのである。冬期(厳冬期)のコース状態に関して
コース&タイム
食事
日誌
カフェオレスペシャルの作り方(500 ml)
ウィークデーのバス、特にシーズンオフともなると、始発イコール自家用車になる。わずか220円でバスを占有して、終点穂坂に向かう。
穂坂の町では、放送で町民に要件を伝えているというように、非常に団結しているようだ。朝、行き交う人々すべてに「おはようございます。」と挨拶をされるのには驚いた。これは素晴らしい週刊だと思う。山で出会う人々に挨拶をするのはごく当たり前だが、見知らぬ旅人に町人が挨拶するのは努力を要することだ。
バス停から登山口を示す表示を見つけた頃は、空が暗くなってきて小雪がちらついていた。これには僕の天候の読みがぐらついた。夜半の雨が上がり、これから回復ンい向かうと判断して決行したのだが...しかし、所詮、登山者はアドベンチャーである。天気の移り変わりに最新の注意を払い、ひとまず全身することにした。
饅頭峠という名の峠道を分け、比較的広い道は女沢沿いに行く。しかし沢は伏流で水の流れはない。人のトレースなどはなく、5本指の獲物の足跡がある。「熊なら嫌だな...」と思いつつ何か気持ちに張りが出てくる(もっとも、熊はだた今、冬眠中と思うのだが...野犬ならもっと手ごわいだろう)。さて、心配していた天気はまだ回復の兆しが見えないばかりか、幾分降雪が増したようだ。身体を濡らすまいと早めに雨具を着用することにする。
やがてケーブル跡に出て、ここより道は狭くなる。しばらく沢沿いの道を進むと、大きな岩に突き当たる。ここは、穂坂町の旧水源地で、女岩と名付けられている。岩の間からは水が湧き出ている。さて、ここでティータイムでもとろうか。テルモスを開けると、湯気とともにほのかな香りが待っていることだろうから。
道は、女岩はを巻くように付けられており、ここからは稜線まで急な登り道が続いている。やがて沢がつまり、ジグザグを繰り返すと一気に稜線上に出る。やあ、軍手の表面が凍ってしまった。ここより大明神岳を越え、清川へと道が続いている。しかし、大明神岳までは岩尾根が延びているようだ。見た目は往復30分程度かな。茅ヶ岳へは左の道を取る。胃と足で深田久弥氏の終焉の地を示す木柱が建っている場所に出る。故深田氏の著書はどれも僕の気に入っているもので、その中の山行の数々のエピソードを読んでいるうちに夢中になってしまう。だから、僕の山に対する考え方や登山のスタイルにも相当影響されていることも否定できない。深田氏が分泌に追われるのを振り切って、電話もない山を笑みを浮かべながら登られている姿が目に見えるようだ。
ここから山頂へは一息だ。山頂からは、甲斐駒や鳳凰山が眺められる。ここから見ると壁のようだ、なべ焼きうどんを似たが、今一つ煮え切らない。温度が低くてガスが気化しにくいからであろう。ガソリンストーブの購入を考えなければならない。ああ、空を見るといつの間にか雪が止んでいる。
茅ヶ岳からキレットへの下りは雪がクラストしているので、アイゼンを着けることにする。アッと言う間にキレットで、目の前に槍岩が聳え立つ。石門をくぐって、しばらく登ると金ヶ岳南峰。空が明るくなり、青空がひろがってきた。雪の反射光が眩しいのでサングラスをかけるとするか。木々越しに見える金峰山も立派だ。カメラのシャッターを切るのも忙しくなる。南峰からの下りも滑りやすいが、一登りで北峰。春日を浴びながら、またテルモスに手が伸びる。
最後の頂上を後にして、浅尾へと降りる。しばらくは尾根がやせているので注意したいところだが、降りるにしたがい尾根の幅が広がる。ふと山道に↓という足跡を見つけ、ちょっとするとトンビだか何だか知らないが、いきなり目の前の岩陰より飛び去ったのにはぎょっとした。やがて目の前が開け、八ヶ岳が正面に見える所に出た。ここまで、さて何回ころんだことやあ。道が広がり、ひょっこり扇平の休憩舎に着いたら、もう里へはすぐそこ。霜柱が建った道を踏み抜きながら行くと、しばらくでアスファルトの道に出る。ここからバス道までもかなりの道のりなのだが、運よく地元のオッチャンの車に便乗させてもらって、ちゃっかり韮崎駅まで直行できた。韮崎駅では、女子高生のちゅもくの中?、登山靴の泥落としをしていたのでした。オシマイ。フォトアルバム
茅ヶ岳をもっと知るためのウェブサイト
茅ヶ岳をもっと知るための本、地図、ガイドブック
降雪の中、正月の雲取山へ ●●★★★△△
雲取山(2,017m)とは
雲取山(2,017m)は、奥秩父の最東端であると同時に、東京都の最高点に位置する。笠取山から雲取山にかけての南側山腹は、東京都の水源保有リンで、見事な樹林帯を築き上げている。これらの山腹の凹は、沢を形成し、初めは足で跨げる小沢が何本も何本も終結し、田場川となり奥多摩湖へと注ぐ。一方、雲取山から東へと延びr石尾根と呼ばれる尾根筋は、カヤト原が散在し、展望も良く明るい稜線だ。歴史的に興味が湧くのは北側、すなわち三峰から白岩山を経て雲取山に達する尾根筋。かつては、妙法ヶ岳、白岩山、雲取山の3つの峰を総称して三峰と言われたそうだ。その当時は、白衣を纏った修験道者が三山がけを課されたというが、今では雲取山へのポピュラーコースを代表している。
冬期(正月期)のコース状態に関して
雲取山付近に多量の雨が降ることはまれだが、山麓で雨の場合は必ず山では雪になる。冬期に雪をもたらす時には、主に太平洋側を低気圧が通過する時だ。表に本の山なので、西高東低の気圧配置では、喚起が厳しいが天候は良い。
三峰神社から霧藻ヶ峰の間は、積雪0~10cm程度。危険な所は特にないが、山の陰の樹林帯では、道が凍結して滑りやすい箇所がある。
霧藻ヶ峰~雲取山荘までのうち、下りは山の南面で、降雪直後でない限り雪の心配はないが、朝、夕は路面が凍結している。オキヨ平~白岩山への登りと、大ダワ~雲取山荘の間が、このコースでは雪は多いが、それも降雪直後でもない限りラッセルすることはないだろう。白岩山~大ダワの間は、路面が凍結していると、山腹のトラバースの時にスリップしやすくて危ないが、積雪量は多い所でも15~16cm程前後だった。
2日の晩は、山が一荒れしたせいで、雲取山直下には40cm位の積雪があったが、困難というほどのものではない。雲取山~石尾根方面は、日当たりが良く、積雪量も少ない。七ツ石山から鴨沢への下降路は、山の南面で雪もほとんどなく、かわりに泥上になっている所があった。全体として、冬山としてのコース状態は比較的よく、安全に歩けると感じた。
スポンサーサイト 晴のち曇、夜になって吹雪 池袋駅(5:00)⇒(西武池袋線、¥460)⇒西武秩父駅(6:51)→[0:05]→御花畑駅(6:56、7:18)⇒(秩父鉄道、¥190)⇒三峰口駅(7:47、8:10)⇒(西武バス、¥170)⇒大輪(8:15)→[0:15]→ロープウェイ大輪駅(8:30)⇒(秩父鉄道ロープウェイ、¥400)→三峰山頂駅(8:35)→[0:15]→三峰神社(8:40、8:50)→[0:35]→妙法ヶ岳分岐(9:13)→妙法ヶ岳岐点(9:35)→[0:30]→地蔵峠(10:05)→霧藻ヶ峰(10:16、10:46)→[0:15]→おきよ平(10:50)→[0:50]→見返り地蔵(11:07)→前白岩の肩(11:37)→前白岩(11:47)→白岩小屋(12:07、12:23)→[0:30]→白岩山(12:49、13:04)→[0:30]→芋ノ木ドッケ(13:17)→大ダワ(13:48、13:55)→雲取小屋(14:21)(素泊り、¥1,700) 冬の始発電車内は、乗客も少なく、暖房もしていなく寒い。池袋を出た当時は、「えい、オラも道産子だ」と粋がってもみたが、列車が所沢駅を過ぎる辺りから身体の心までジーンとくるようになった。何せ、各駅停車である。2、3分おきにドアが開き、その瞬間に待ち構えたように明け方の冷気が押し寄せてくる。 ああ、もうここに座り込んでから30分。そろそろ行こうか...オキヨ平まで降りて、白岩小屋まで登り返すのだが、ここが一番苦しいことになっている。雪も結構多く、高校生くらいのグループはここでアイゼンをはいていたが、こちらは笑ってウィスキーテイーの陽気でさっさと登る。前白岩まで急な登りが続いた。コースタイムでは50分となっているが、白岩小屋までは1時間20分くらい見ておいた方がいいのでは? 雪のち晴 雲取山荘(7:05)→[0:30]→雲取山(7:48、8:47)→[0:30]→小雲取山(9:18)→雲取山奥多摩小屋(9:24、9:34)→[0:15]→ブナ坂鞍部(9:58)→[0:15]→七ツ石山(10:23、10:33)→堂所(12:03)→[1:20]→鴨沢(13:15)→留浦(13:30、13:47)⇒(西東京バス、¥300[¥200]))⇒奥多摩駅(14:30、14:35)⇒(青梅線、¥810)⇒立川駅(15:42、15:58)⇒(中央線、特別快速)⇒新宿駅(16:25) 予定では、今日は飛竜さんまで足を延ばすつもりだったが、いささか雪が積もっていることと、朝になっても止まぬ雪で行程を変更することにする。相乗りのおじさんは、僕のラッセルに期待をかけていたが、まああきらめてもらおう。 ※ ●は使用した装備 スポンサーサイト 登山ガイドブックと言えば、昔から「ヤマケイアルペンガイド」でした。現在では、山と渓谷社のYamakei ONLINEに、その情報や地図が無料公開されて大変ありがたいですが、やはり本を読む時ならではのバーチャル登山の妄想が楽しいものでもあります。行程概要
期日
1980年1月2日(水)~3日(木)
日程
1泊2日
行程
8時間
メンバー
単独
地図
三峰・丹羽(五日市・秩父)(国土地理院)
交通費用
宿泊費用
2,980円(4,680円)
アクセス
雲取山(2,017m)MAP
山行日誌
第1日:1980年1月2日(水)
天候
コース&タイム
食事
日誌
列車が飯能駅を出て、しばらく行くと、列車は山の麓を走るようになる。雪はないのだが、外は人家の屋根まで白く見える。西武秩父駅について、やっと冷蔵庫から解放された気分で秩父鉄道の御花畑駅に急ぐ。都会人は駅で列車を20分待つのもうんざりするだろうが、一度山のユニホームを着たら最後、都会人を脱皮する返信能力を持つ山屋にとってはなんのその、20分なんて序の口。自動販売機で暖かい甘酒を買って、今日のこれからの行程を想像するだけで楽しくなってしまう。
秩父鉄道の列車内はヒーターが効いていて、暖かった。くづれかかるような武甲山を目に、列車はひなびた駅を行く。三峰口駅について、しかし僕を待っていたのは、三峰ロープウェイの故障だ。三峰まで表参道を登ると2時間の行程と、それに見合う体力が消耗する。余裕を持った計画を立てていても、2時間のlossは大きすぎる。途方に暮れていると、いる、いる、おなじような連中が...
山登りの好きな連中は、それだけで何故か通じるものがあって、
「あっ、お宅も雲取?そう、今日は災難だね。」
なんちゃって、ちゃっかりタクシーをチャーターして相乗りと決め込む。
車は、秩父湖畔から離れて三峰へと我々を上げてくれる。さあ、三峰神社に初詣としゃれて、登山安全を祈願、みくじを引くと「大吉」。これで、一昨年、去年の中吉、小吉と合わせて「サイクル吉」を引き当てた。気分を良くして雲取山荘へ向かうとするか。
三峰付近から見ると、あの膨大な和名倉山は、ちょこっと三峰に行く度に日記に書いているようで、今年はやめておく(けど書いてしまった...)。そんなふうに山を見ながら、霧藻ヶ峰に向かうが、緩い登りで楽だ。はしごをつたうと、もはや霧藻ヶ峰に到着する。眺めはいい。ギザギザの両神山、純白の雪を被った浅間山等々...。気の良い万人が、下山者に御神酒を勧めていたが、登山者には禁酒とあってダメらしい。そういうさ中、特製サンドイッチを片手に持って、しこしこウィスキーティーをこしらえている。ウィスキーテョーのほど良い香りが漂い始めた時には、サンドイッチ一包がなくなっている。かつて蓼科山で試みたウィスキーティーがもとで、ついに冬山の必須装備となってしまったこいつを飲みながら、辺りの景色を眺めるのは気分がいい。今回、試みた特製サンドイッチも成功だ。なにしろ冬は、握り飯も凍っていけない。そうだ、忘れないうちに材料をメモしておこう。
白岩小屋から白岩山頂までは一登り。山頂の三角点は少しルートからそれている。ここから大ダワまでは、緩い登り下りと山腹のトラバース。大ダワでは、テルモスから冷のウィスキーティーを取り出し一杯、雲取山荘へは緩い巻き道と直登ルートがあるからどちらにしようか迷ったが、足の向くまま直登ルートを取り、雪道をしばらく行くと雲取山荘へと着く。雲取山荘へは、どうやら三峰からは一番乗りらしい、与えられたお茶をいただきながら炬燵で丸まっていると、相乗りタクシーの一人が遅ればせにと着いて、またぞろぞろと炬燵を囲む連中が増えると、山の話がボツボツと出始める。
夕食のカレーを食い、寝床に着く頃には、外は雪が降っていた。小屋の壁板から吹き込む風や雪がちょうど顔に当たって顔は寒かったが、ふとんを大量に占領できたせいで身体は暖かった。しかし、翌朝生きて、枕元に置いたコッヘルの中の水が凍っていたことには、少々びっくりしてしまった。よく顔が凍らなかったものだと...第2日:1980年1月3日(木)
天候
コース&タイム
食事
日誌
雲取山頂までは、雪が多くて、山頂に着いた時は雪が結構降っていた。避難小屋で身支度を確認して、七ツ石山へ向かったが、徐々に雪は小降りになってきた。しかし、カメラの電池が切れたことは痛い。もう下山と決めたからには、のんびりいくことにしよう。奥多摩小屋でまた例のものを飲んでいると、同塾の一人が石尾根縦走を勧めてきた。が、あのコースは前に通っているし、のんびりした山旅も良かれと思って、七ツ石山の山頂でしばらくボケっとしていた。そんなとこに、ひょっこり七ツ石小屋のおやじがいて、
「昔の娘、見なかったか?」 と田津寝るもんだから、首を傾げると、
「なに、オバンのことだ。」
と笑って。「巻いたか」と言い残してとことこ降りてしまった。
七ツ石小屋では、さっきのオヤジもいたが、しばらく休んで(もちろん例のものを飲みながら)、一気に鴨沢まで駆け降りた。鴨沢から留浦まで青梅街道を歩きながら、付近の山々を見て
[ さて、次はどこんいしようか」
と、考えている一人の野郎がいた。持参した装備
アタックザック ×1
●
ショートソックス ×1
●
白金カイロ ×1
-
行動食 ×1
●
軍手×3
●
カッターシャツ×1
●
ベンゼン燃料×1
-
食料4食分×1
●
薄手手袋×1
●
ニッカズボン×1
●
裁縫セット×1
-
アイゼン12本爪×1
-
ウール手袋×1
-
goro登山靴×1
●
ライター×2
-
ロングスパッツ
●
ウール帽子×1
●
コンパス×1
●
固形燃料(中)×1
●
身分証明書
-
つば付帽子×1
●
ヘッドライト1
-
コッフェル×1
●
費用・予備費×1
●
セパレート雨具×1
-
予備電池
-
靴紐予備×1
-
救急具×1
-
ウインドヤッケ×2
-
武器(スプーン・フォーク)
●
地図×1
●
テルモス×1
●
ポンチョ×1
-
マット
-
時計×1
●
ビニル風呂敷×1
-
予備食1日分×1
-
メンツ
●
ガスコンロ
●
保険証
-
sunグラス
-
テトラポット1.5L
●
カメラ×1
●
セーター×2(厚保・薄)
●
七徳セット×2
●
フイルム×2
●
チョッキ×1
●
キジペ×1
-
ボールペン×1
●
ニッカホース×2
●
細引(6mm×10m)×1
-
非常食(3~4食分)×11
-
雲取山をもっと知るためのウェブサイト
雲取山をもっと知るための本、地図、ガイドブック
残暑厳しく体調不良で登った 上州武尊山(2,158 m) ●●★★
上州武尊山(2,158 m)とは
武尊山の山名は日本武尊からきたとされている。古くから信仰の山であったようで、最高峰には御岳山大神と刻んだ碑が奉られているほか、剣が峰の頂に普寛霊神が祀られてある。武尊山の信仰登山の表口は花咲のようだ。何でも村の端の小祠には、以前は武尊講の札がたくさん掛けてあったそうである。この登山道の途中には石仏が二基あり、その一つの背には御山開閥木食上人普寛行山の文字が認められたそうである。から、武尊山の開山者は普寛上人のようである。
僕は、この山に登る計画を2年も前から具体化していた。しかし、同行者が得られない点と、山中一泊を必要とするので、その案は実行されなままでいた。しかし、僕はこの山にあこがれた。それは、他の山から眺めたわけではない。故深田久弥氏の分泌にあこがれを感じたのであり、またこの山のガイドブックを読んでさらに憧れを強め、地図でその気持ちが固まったのである。
地図で?それは、この山はどっしりと腰を据えた独立火山であって、しかしその頂上部は、沖武尊、川籠岳、家の串、剣が峰、前武尊などの2,000mをいずれも下らない峰々から成る。2,000mというと谷川岳より高い。しかも、ここから谷川岳は目と鼻の先である。しかし、多くの人々は谷川岳という名に魅かれ、この山はひっそりと孤立している。素朴さと、雄大さの2つに加えて、厳格さを感じさせる男性的山容を写真で見たりすると、僕はこの山に魅了されてしまうのである。
下記は当時のMEMOです。こちらが現在の交通機関の情報となります。 16:50⇒17:05 18:35⇒18:50 ⇒ ⇒ 13:10⇒14:10 14:40⇒15:40 17:05⇒18:05 18:50⇒19:50 晴れ、時々曇り 上野駅(6:53)⇒(上越線、急行ゆけむり1号、¥1,800(¥600))⇒水上駅(9:36)⇒(東武バス(¥550)⇒久保(10:22)→[0:50]→上ノ原山の家(11:18, 12:10)→[2:00]→名倉ノオキ(14:36, 14:46)→裏見ノ滝分岐(15:06)→[0:30]→手小屋沢避難小屋(15:10) 9月下旬だというのに、その日は異常に暑苦しかった。藤原湖のダムを通って久保の郵便局の前でバスを降りたのまではいいが、その後は木陰もない、直射日光の燦燦と照り続け、しかも固いアスファルトの歩きにくい道を上ノ原山の家まで歩くのは辛かった。朝飯をろくに食ってこなかったのも響いて、汗がどくどく出て水を欲し、しかも主にも体力の出て行くのに手を貸し、山の家に着いた頃には予想以上のenergyを費やしたことを自覚した(今から思えば、軽い熱射病の症状だったように思う)。そこでenergyの補給にと昼飯の握り飯を開いたが、これも暑さで糸を引いていたのでやむなく捨てることにした。山の家のオバチャンに何か出来ないかと尋ねたが、季節がら出来ないという。それでザックよりビスケットを取り出して口に含んだが、喉の渇きでろくに食べる気がしない。しかし、数個のビスケットを紅茶で胃の中に流し込んでから、腰を上げた。 朝のうち雨、のち曇り 手小屋沢避難小屋(6:35)→[1:30]→藤原武尊(8:05, 8:15)→[0:30]→沖武尊山(本峰)(8:30)→川場太郎→沖武尊山(9:42)→藤原武尊(9:55)→[1:20]→手小屋沢避難小屋(11:25, 12:47)→[0:20]→名倉ノオキ(13:10)→[1:20]→上ノ原山ノ家(14:37)→[0:50]→久保(15:37, 16:02)⇒(東武バス、(¥550)⇒水上駅(16:38, 17:14)⇒(急行ゆけむり10号、¥1,800(¥600))赤羽駅(19:40) 翌日、目が覚めると雨がまだ降り続いていた。そこで、天気の様子を伺いつつ、軽装で頂上を往復することにした。計画では、前武尊を越え、川場の方へ行く予定であったが、前日の身体の不調と体力の消耗が僕を弱気にした。 スポンサーサイト 登山ガイドブックと言えば、昔から「ヤマケイアルペンガイド」でした。現在では、山と渓谷社のYamakei ONLINEに、その情報や地図が無料公開されて大変ありがたいですが、やはり本を読む時ならではのバーチャル登山の妄想が楽しいものでもあります。 谷川連峰から苗場山、武尊山までカバーする定番の登山地図です。現在ではスマホのアプリ(お勧めアプリ:山と高原地図)でもコースや大体の現在が見られるようになって大変便利になりましたが、落としたりなくしたり、電池切れなどの時にコースが確認できなくなって途方にくれなくならないよう、現地地図と磁石は必ず持参しましょう。地図と磁石がないと、山でスマホの機能を喪失したら、遭難にもつながる危険性がありますので。 スポンサーサイト 行程概要
期日
1979年9月22日(土)~9月23日(日)
日程
1泊2日
行程
メンバー
単独
地図
藤原・追貝(国土地理院)
交通費用
5,900円
宿泊費用
0円(手小屋沢避難小屋)
参考資料(バス時間)
武尊登山口⇒川場
川場⇒沼田駅
アクセス
●バス:
山行日誌
1979年9月22日(土)
天候
コース&タイム
食事
日誌
武尊山へのアプローチは長い。工事中のほこりっぽい道をしばらく行くと、上ノ原の高原に出る。今はもう小麦色が鮮やかだ。これから名倉沢沿いの道を行くのだが、身体が思うように動かない。「この暑さのせいだ。」と思って、空を見上げてもどうしようもない。もう源頭も近いなと思ってから、相当あったように思える。最後の子尾根に取りついたときは、足の筋肉が弱っていた。「暑い上に、風もない。この時期にしてはおかしいな」と、先ほどから案じてたように夕方頃から雲が出てきた。遠くでは雷の音までする。一雨 来る前に、手小屋沢避難小屋まで入ろうと気がせいた。ようやく名倉ノオキと呼ばれる尾根の鞍部に着いた時は、ほっと一息入れた。ここからは平たんな道を30分ほど歩くと、避難小屋が見える。丸太組みの小屋で、下は土の簡単なものだが、そばに水が得られるのはありがたい。今日は疲れた。飯を食ってゆっくり休もうと寝袋に入った頃には、雨音が聞こえていた。同宿の3人のグループは、ビールを飲みながら山の話をしているようであった。1979年9月23日(日)
天候
コース&タイム
食事
日誌
藤原武尊までは、しばしの急登を喘がなければならなかった。途中には岩を攀じ登る所もあるが、大したことはない。藤原武尊からは緩い登りで沖武尊の頂上に着く。そこでしばらく休んだ後、川場太郎という小岩峰で日本武尊の銅像を見物して、再び沖武尊の頂上へと戻ったら、例の3人のグループが到着していた。聞くと、川場まで行くという。僕は、何とも言い難い神教で彼らを見送らなければならなかった。その後である。雨はすでに先ほどから止み、雲が切れて日光が差してきた。谷川連峰も見える。それは予定変更を決した意思に大きな後悔の念をもたらした。弱気がもたらした敗北である。悔いの残る頂上を後にして、手小屋沢避難小屋に戻った時は沈み切った心境にあった。もはや結論はこうである。「また来よう、それも近いうちに」。上ノ原に降りた時には、もう日が西に大分傾いていた。フォトアルバム
上州武尊山をもっと知るためのウェブサイト
上州武尊山をもっと知るための本、地図、ガイドブック
西上州 星尾峠・荒船山 (1,423m) ●●★★★△
荒船山(京塚山:1,423m)とは
星尾峠というと、大島亮吉の著書「山-随想」に書かれている、「それは荒船の頂上高原の南端近くのところを超えて、上州の山里から信濃の山あいの小村へと通っているひとつの小さい峠だった」。以下、表される様、西上州の山域にあって、実に素朴な峠のひとつである。その峠の道中には、「荒船不動」があって、別名「出世不動」ともいわれるよう、そこには「大学合格祈願」をはじめとする旗が飾られている。荒船山は、南北に細長い頂を持ち、最南端に最高点である京塚山(1423m)、また最北端には艫岩の大絶壁を作っている。かつての航空母艦「荒船」の名も、ここから取ったそうである。
晴 上野駅(0:22)⇒(信越線、急行信州9号、¥1,800[¥600])⇒小諸駅(4:10, 6:37)⇒(小海線)⇒中込駅(7:05, 8:26)⇒(千曲バス、¥330)⇒初谷バス停(8:52,8:54)→[0:20]→神房橋(9:12)→[0:40]→大河石橋(9:22)→貯水池(9:27, 9:30)→荒船不動(9:48,10:00)→近道分岐(10:17)→星尾峠(10:38,10:43)→[0:15]→京塚山入口(10:59, 11:03)→[0:10]→京塚山(11:17, 11:24)→[0:07]→京塚山入口(11:37, 11:47)→[0:40]→第2休憩所(12:00)→艫岩・枯木の分れ(12:13, 12:32)→[1:00]→小屋場分岐(13:29)→相沢(14:11, 14:31)→[0:30]→三ツ瀬(15:00, 15:27)⇒(上信バス、¥440)⇒下仁田駅(15:58, 16:10)⇒(上信電鉄, ¥760)⇒高崎駅(17:09, 17:22)⇒(高崎線、急行佐渡4号、¥1,000[¥600])⇒赤羽駅(18:40) スポンサーサイト 山に行くのに上の駅から発ったのは初めてではないか?久しぶりの入山。晴れて大学にもどうにか引っ掛かったので、正月の約束通り三峰神社からお礼参りをかねて5月の連休には雲取山から金峰山まであるいちょうか?和名倉山にも登らないといかんし...でも近頃太り気味で、体力も低下。山カンも鈍っていることだし、ひとまず軽い参考を!ということで、大島亮吉水栓の荒船山をやろうというわけまのだ。 あの真っ白な雪の上を歩いて浅間の山頂に向かって歩きたい。 出世不動尊というので、立身出世を祈って手を合わせた。 山頂に立って、このひと時がとてもうれしい。 芸術が何かはわからないが、こういう自然の景観を芸術だと感じる。 日本百名山で登りたい山だが、火山活動で山頂付近は現在立ち入り禁止になっている。 スポンサーサイト行程概要
期日
1979年4月4日(水)
日程
前夜発日帰り
行程
4時間10分
メンバー
単独
地図
御代田(国土地理院)
交通費用
5,210円
宿泊費用
-
アクセス
●バス:
荒船山(京塚山:1,423m)MAP
山行記録
1979年4月4日(水)
天候
コース&タイム
食事
山行日誌
明日の寒さは予想以上...また、去年の乾徳山の二の舞かと思ったけど、小諸駅の待合室にストーブがとぼとぼと焚いてあってひとまず安心!土地のおばさんと一言、二言かわしたけど、蓼科(立科)に住んでいるとかで、「あ、僕も蓼科山に登ったことがあるんです」と言ったら、彼女は毎年登っているとかで(多分、田畑の方策を祈っているということで)、唖然としてしまった。「今日は一人?」というから、「そうです」と答えたら、「気を付けてね」と、さも心配そうに言うんやけど、単独登山の意義を話しても仕様がないだろうから、素直に頷いておいた。
駅の構内がにわかに活気ずいてくる朝6時半ごろ、小海線の始発に乗ったけど、走り出したとたん列車の横から煙を噴き出してすぐ停車。ボ、ボロイ!しかし、駅員の連中は、笑いながら消火器のアワをぶっかけて、列車を駅に再びもどした後に発車。ほんと大丈夫なのかな...もう!それから、小海線の途中の駅に「乙女」という駅があって、あそこの駅の入場券がほしかったナア。「乙女への入場券」って、いかしてるじゃない!
中込駅で飯を作っていると、すごいデボイが「昔を思い出すな...」だって!その友人が「オレも昔はよくやったな」ときた。一瞬、「ムカ!こいつオレをナメてるのか!」と思ったんやけど、ハテ?よく考えると馬鹿にされたわけでもないのかな?と思ってケンカ腰になるのは思いとどまった。いいかげんバスの遅れにしびれをきらしていると、やっとこさ来た。行先は初谷。
さて、右手情報に新道を見て、こちらは谷川の道を行く。兜岩山のゴツい山容と、その東のピラミダルな山が印象的だ。目指す荒船山はというと、ほんとうに頂上部は平たんで、南橋にニョキっと盛り上がった京塚山が望める。全山霧氷で白く染まっているのが鮮やかだった。
神房橋下を通って、大河石橋という木製の橋を渡ると、そこからは山道。貯水池がすぐ見えてくるが、山に囲まれているだけに気分が良い所だ。そこからは、明るい太陽の日を浴びながら、足取りも軽く登って行く。日陰に多少雪が残っている程度で、歩きやすい道だ。やがて荒船不動にたどり着く。腰を下ろしていると、常在のおばあちゃんが来て、「荒船に遊びにゆくんか?」と言うから「そうです」と応えたら、「不動尊におまいりして行きなさい。出世不動様だから」というので、頭をぺこっと不動様に下げて50円玉を奉納した...これで出世間違いなし。
荒船不動から登りもやや苦しくなったが、軽荷なんで全然こたえない。沢沿いの良い道だ。近道を分けて、少々ジグザグを繰り返すと、もう頭上に鞍部が見える。星尾峠だ。素朴な峠で、木々の間から京塚山の岩壁が見える。そこから京塚山入口まで、階段坂を一足とばしで着く。そこからが大変だった。京塚山への道は凍っていて、しかも急だから木々にすがりながら行かなければならなかった。頂上は西方面に展望が良好だけど、あとは期の枝がじゃまで展望不良。風が強いから早々に辞し、下りも気を付けて降りた。
荒船山の頂部は高原となっていてる。道もほとんど平坦で、気持ち良いワンダリングが楽しめる。雪解けの道がぬかっていることを除けばの話ではあるが...足元の笹のすれちがう音に山酔いを感じながら、第2休憩所に着く。小屋は荒廃。相沢へのふみ跡が下っている。しばし歩いて、沢にぶつかった。頂上に沢があるなんていかにも不思議だ。ここは水場となっていて、キャンプにも適している。もう枯木の分れはすぐで、ここから1分ほどで展望の素晴らしい艫岩の真上に出る。正対した浅間山が何と言っても見事だ。白い雪を冠り、噴煙を上げて...またすごい高度感も味わえる。里の道路もはるか下に見える。ここでしばしの休憩だ。なお、上信電鉄の小屋は廃滅。
枯木の分れから、相沢への道を取ると、山の裏側で道は雪に覆われていて、しかも岩壁近くを下るわけだから、すごく急だ。強引に進もうとすると足場が壊れる。さすがの僕もおじけずいて一度戻った。「道が違うのではないか」と思ったが、あっているみたいだ。山の北側だから雪が残っているのだ。さて、ルートを変えようとも思ったが、スパッツを付け、細引きをズボンに突っ込んで強引に脱出を試みた。しかし、その悪罵を通過すると、あとは平々凡々な道が相沢部落へと導いてくれた。途中に小屋場方面へふみ跡を分けると、沢沿いの木道である。相沢で一休みして三ツ瀬に向かった。三ツ瀬では、コーラを片手に、荒船山を振り返った。艫岩が遠くに聳えていた。
フォトアルバム
関連サイト
奥秩父 妙法ヶ岳(1,332m)(表参道) ●★★△
妙法ヶ岳(1,332m)とは
妙法ヶ岳(1,332m)は、白岩山(1,921m)、雲取山(2,017m)のと合わせて三峰山と呼ばれている。神社の縁起は、2000年に近い昔、日本武尊が東征のとき、戦勝奇岩のためにこの地を音連れ、イザナギ、イザナミの二神を祀ったことが始まりという。また、役ノ役者が修験道の行場としてここを開いたとも伝えられている。
鎌倉時代末期から江戸時代初期の騒乱の頃は、数多くの武将から尊崇され、江戸時代には十万石の大名同様の様式をお幕府から与えられたという。近く、この山は秩父宮殿下が御登山なさったとのことで、表参道には記念杉が植林され、また妙法ヶ岳山頂奥社の横には記念碑が建てられている。
快晴 西武池袋駅(7:30)⇒(西武線特急ちちぶ、¥430[¥430])⇒西武秩父駅(8:58)→「0:05」→お花畑駅(9:03,9:10)⇒(秩父鉄道, ¥190)⇒三峰口駅(9:30,10:00)⇒(西武観光バス、¥150)⇒大輪(10:12)→[0:15]→ロープウェイ大輪駅(10:20, 10:30)⇒(ロープウェイ、¥400)⇒ロープウェイ山頂駅(10:38, 10:50)→[0:15]→三峰神社(11:00,11:15)→第一鳥居(11:35)[0:25]→妙法が岳分岐(11:45)→太陽寺分岐(12:05)[0:40]→妙法ヶ岳、三峰奥宮(12:20, 12:50)→太陽寺分岐(13:00)→太陽寺(13:25,13:35)[0:30]→妙法が岳分岐(12:30)→「0:25」→三峰神社(隋神門)→薬師堂跡(14:00,14:05)→清浄滝(14:25,14:30)→ロープウェイ大輪駅(14:50)⇒[0:10]→大輪(15:00,15:22)(西武観光バス、¥150)⇒三峰口駅(15:42, 16:07)⇒(秩父鉄道、¥140)→[0:05]→お花畑駅(16:30)→西武秩父駅(16:35, 17:03)⇒(西武線急行, ¥430)⇒池袋駅(18:42) スポンサーサイト 久しぶりの登山と言おうか、下山と言おうか、インチキ登山と言おうか...何分受験生であるので、体力と時間のロスはひどく響くので...。2年前の明日、一度ここへ行ったことがある。あの時は太陽寺へと下ったが、今回は下山に表参道を取った。しかし、手元にはこのコースの資料がないので、地図から想像するだけである。 元旦、今年の大きな飛躍を目指して、初々しい雪に足跡を記した。 盆地には、朝切が漂っていた。さわやかな空気の中で、久しぶりの山の匂いを嗅いだ。 ※ ●は使用した装備 スポンサーサイト 行程概要
期日
1979年1月1日(月)
日程
日帰り
行程
4時間10分
メンバー
単独
地図
妙法ヶ岳(国土地理院)
交通費用
2,370円
宿泊費用
-
アクセス
●バス:
妙法ヶ岳(1,332m)MAP
山行記録
1979年1月1日(月)
天候
コース&タイム
食事
山行日誌
お守りと破魔矢を携え、妙法ヶ岳へと向かった。山稜は、一昨年よりやや雪多し、といったところで、さて一昨年の過ちを一つ発見した。目の前の膨大な山を「雲取山」と思ってたのだが、実は「和名倉山」であたと。実にでかく、根針の良い山田。山頂付近は、平たく草原状をなしている。記憶では、なかなか良い沢を提供しているそうだ。しかし、あまり登られていないようで、道も荒廃しているそうだが、是非和名倉沢をつめて登ってみたい...と。山頂に山小屋でも立てて、道を整備しなおすと、登山者が多くなるのではないか?沢登りに絶好な沢をいくつか有しているようだし、標高も2,036mと決して低くはない。開発したい山である。
妙法ヶ岳分岐を過ぎ、太陽寺分岐に至ると、ひとしお懐かしい両神山が鮮やかに見えた。この山は、一昨年、妙法ヶ岳にて登山欲をそそられ、同年5月に見事に登頂を果たした山である。そして、今年はその山をこうして懐かしい目で振り返っている。あのギザギザの稜線を一つ一つ乗り越えた。その思い出が蘇ってくる。とすると、今年は見事に受験に成功して、あの和名倉山登山の思いを果たせようか。妙法ヶ岳は、自分とここから景観できる山との縁結びの山か。いや、多くの人々と大和の縁結びを引き受けているはずだ。秩父宮殿下も、この山に始まり立山などの山へと歩を進められている。ちなみに聞き耳を立てると、頂上を共にしたキャラバンシューズを履いた夫婦の会話が聞こえてきた。
「あれが両神山よ。そしてギザギザが八方尾根で..」「一度、両神山にも登らないとな」 ああ...2年前の自分と同じく、またこの山を踏み台として両神山に挑まんとする人がいる。そう思うと、うれしくたまらなくなった。
軽い酔い(未成年のくせにウイスキーティーというふざけたものを持ってきたためだろう...そして山酔いもつけ加わっているのだろう)を感じながら、氷の稜線を再び三峰神社へと戻った。そして、今回は表参道を下ってみることにした。「冬期路面凍結。ロープウェイをご利用下さい。」という看板と、山の中から突然出現した異様な男を見る参拝者に後ろめたさを感じながら、どんどん駆け降りた。薬師堂跡にはベンチも置かれ、なおも下ると、勇敢にもこの道を登ってくる女性二人と少年に出会った。パンタロンに運動靴姿だけど、お尻をすりむかなかったのだろうか。荒い息遣いが遠ざかり、しばらくで沢に出た。ここは滝場で、昔から修験道者が身を清めるために滝に打たれる。今は、岩棚にはつららがかかり、人一人いなかった。凍った路面に幾度か足を取られ滑って転びながら、また途中で時計を落としたりしたが、どうにか終点に着いた。みそおでんの誘惑を振りきって、超満員のバスは、途中のバス停で寒そうに待っている人々をシカトしながら三峰口へと向かうのだった。景観
持参した装備
サブザック ×1
●
ショートソックス ×1
●
ニッカホース×1
●
行動食 ×1
●
軍手×1
●
カッターシャツ×1
●
薄手手袋×1
-
食料1食分×1
●
ポンチョ×1
-
ニッカズボン×1
●
ナイフセット×1
-
ビニル袋×1
●
カートリッジ予備×1
-
goro登山靴×1
●
ライター×2
●
メンツ
●
ガスコンロ×1
●
コンパス×1
●
テルモス×1
●
裁縫セット
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つば付帽子×1
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ヘッドライト1
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コッフェル×1
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費用・予備費×1
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セパレート雨具×1
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予備電池
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靴紐予備×1
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救急具×1
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ウインドヤッケ×1
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武器(スプーン・フォーク)
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地図×1
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ポンチョ×1
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マット
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時計×1
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ビニル風呂敷×1
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タオル×1
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ポリタン2L
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カメラ×1
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セーター×2
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七徳セット×2
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フイルム×2
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コンパス×1
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キジペ×1
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ボールペン×1
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ニッカホース×2
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細引(6mm×10m)×1
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非常食(2食分)×11
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