丹沢主脈縦走 ●●●●★★
丹沢山(1,567m)とは
丹沢山は、神奈川県のほぼ中央に位置する山で、西部の檜洞丸(1,551m)から最高峰である蛭が岳(1,673m)、ほぼ中央にあり由来となった丹沢山(1,567m)、塔ノ岳(1,491m)、東にある大山(1,352m)までの山域全体を指している。都心や神奈川県から近いため、多くのハイカーに人気があり、また塔ノ岳を源とするいくつかの沢は沢登りのメッカにもなっている。丹沢山は、明治時代の測量時に一等三角点が設置され、丹沢山と名付けられ、一峰の山名となっったが、深田久弥氏により日本百名山としてこの山塊中の全体を選出され、以降この山域全体の総称された。丹沢の入門となるのは塔ノ岳で、ヤビツ峠を挟んで東の雨降山の別称がある大山は、ケーブルカーで阿夫利神社下社まで登れ、参拝客でにぎわっている。その一方で、丹沢山、蛭ヶ岳、さえあに檜洞丸の主脈は、深山の様相が強く、訪れる人は少なく、静かな山旅が堪能できる。
スポンサーサイト 曇り時々雨(にわか雨) 新宿駅(6:17)⇒(小田急,急行,?320)⇒渋沢駅(7:25,7:55)⇒(神奈中バス,?90)⇒大倉(8:06,8:50)→[1:10]→一本松跡(9:30)→[1:40]→駒止茶屋(9:50, 10:00)→堀山山ノ家(10:20)→花立山荘(11:30, 11:50)→金冷シの頭(12:10)→[0:25]→塔ノ岳(12:35,12:45)→[1:00]→日高(ニッタカ)(13:15)→竜ガ馬場(リュウガバンバ)(13:45)→丹沢山(14:15)(みやま山荘泊) どうも丹沢とはうまが合わぬ。何か毎回雨にたたられる感じがする。おかげで、雨の丹沢と仲良しになったくらいだ。どうも、この山域の東に雨降山(大山)なんて山があるからいけないと思うくらい。雨の大倉尾根は、以前に来た時にけなしたことがあったが、赤土の多いこの尾根。雨が降ると、やたら泥々となって足を運ぶたびに足場がいずれ、思わぬ時間を食う。手を使わされるのもしばしば。おかげで手足は泥だらけ。やけになって、雨の丹沢も良かれと思って登って、やっとの思いで塔ノ岳山頂に達する。 朝のうち晴のち霧 丹沢山(7:15)→[1:40]→蛭ヶ岳(8:55,9:15)→[0.25]→本ダルミ(9:40)→ミカゲ沢の頭(10:00)→[0:40]→臼ヶ岳(10:30)→[0:30]→神ノ川乗越(10:50, 11:10(水場往復))→[0:40]→金山谷乗越(11:45)→[0:50]→青ヶ岳山荘(12:35,13:00)→檜洞丸(13:10,13:40)→[1:20]→ゴウラ沢出合(15:10)→[0:50]→西丹沢自然教室(15:55)→[0:30]→箒沢(西丹沢)(16:20,16:40)⇒(神奈中バス,¥600[¥300])→新松田駅⇒(小田急、急行,?430))⇒水上駅(17:29, 18:04)⇒(上越線、急行ゆけむり6号、¥1,300[500])→新宿駅(19:20) 翌朝、やあ、晴れている。蛭ヶ岳へとにかく向かうことにした。ツルベ落としの坂は名ほどのものではなく、不動ノ峰の小屋の前を通り、棚沢ノ頭でユーシンへ向かう踏み跡を分け、鬼が岩の上に出る。富士山に南アルプスが見え、見事だ。丹沢から富士山がこんなに近いとは思わなかった。鬼が岩から岩場の下降だが大したことはなく、少しきつい登りを喘いで蛭ヶ岳山頂登頂。ここが丹沢最高点。小祠が祀ってあるが、霧が出てきて視界無し。水が残り400ccで少し欠乏気味。 スポンサーサイト スポンサーサイト行程概要
期日
1977年12月31日(土)~1978年1月1日(日)
日程
1泊2日
行程
-
メンバー
単独
地図
(国土地理院)
交通費用
¥4,550(学生団割適用)
宿泊費用
¥2,700(一食¥600、宿泊費¥1,500;
ルート図
アクセス
山行日誌
第1日:1977年12月31日(土)
天候
コース&タイム
食事
日誌
展望雄大.辺りは真っ白け..さえぎるもの無し...大変良く霧(ガス)とやらが見える....嗚呼、あほらし。もう帰ろうか.....いや、男は耐えねばならぬ。そうきを奮い立たせて、丹沢山へと向かう。道はしっかりしているのだが、いささか腹が減った。飯を食う。日高の指導票を見て、やがてベンチの置かれた竜ガ馬場に出る。一休みして水場へのふみ跡を分け、一登りして丹沢山へ着く。雨だというのに、鹿がいる。むろん野生だが、ここに来る登山客が気概を与えぬと知ってか、愛嬌良く寄ってくる。先に進もうか迷ったが、少し行ってみることにして、早戸川乗越の先まで行ったが、風雨が一層強くなり、何分自分にとってこの先が道でもあり、身体も濡れて冷えてきた上、足が言うことがきかなくなってきて、もうダメだ、おしまいにしようと思って状の行程をここで打ち切り、丹沢山へと引き換えしたが、その登りのつらいこと。今更ながら、判断の甘さに公開してしまう。頂上に引き返し、みやま山荘止まり。13人しか客もいなく、ランタンの灯る下で山の夜を過ごすことになる。恐縮だが、飯はいとまずし。ごはんには芯があり、カレーの辛いこと。しかし、客が少ないせいで一つの布団に3枚の毛布と掛布団を得ての喜び。何でも、普通は一つの布団に3人が雑魚寝だとか...山ではそんなところに男女が入り乱れて寝ることもある。夜中、雨の激しい音を子守唄に眠りに着いた。第2日:1978年1月1日(日)
天候
コース&タイム
食事
日誌
ここから本ダルミまでの急坂がきつい。露岩もあり、注意が必要だ。そこから軽い上下で、一汗かいた所が臼ガ岳。南面はガレている。朝日尾根を分け、泥の急坂を神ノ沢乗越へ下るが、途中北面のガレ上をトラバースする時がちと怖い。神ノ川乗越で荷を下ろして、ポリタンを担いで掘れたふみ跡をたどって河原に降り、そこから少し下ったところがユーシン沢巌流。待望の水を手に入れる。帰りはリボンを頼りに沢を離れ、乗越に戻る。
少しの登降を繰り返し、金山谷ノ頭を北面のガレの上を通ってトラバースし、そこからすぐで金山谷乗越。そこから急な登りを桧洞丸に向かい、穏やかになると、少しで青ヶ岳山荘。お茶をいただいて一休みし、桧洞丸山頂へは目と鼻の先。名にしおう霧の桧洞丸山頂では餅を焼いて食い、沢の水でスープを作り昼食を取る。
山頂から少し下って、医師だなコースを分け、小尾根を急下降する。展望台で休んでいると、ゴーラ沢源頭でしばしば落石が起こっている。やがてゴーラ(ゴーロの転称か)沢出合に出て、沢を渡り、さらに東沢を渡って右岸沿いの道に出て、そこからほとんど水平な道を行く。尾根を乗越、小沢を下るとひょいと林道に出て、それを下って左へ道を分けるとバス停にたどり着いた。
丹沢山をもっと知るためのウェブサイト
丹沢山をもっと知るための本、地図、ガイドブック
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