北アルプス縦走(大眺望の縦走コース常念岳~蝶ヶ岳)●●●★★
常念岳(2,857m)とは
常念岳(2,857m)は、常念山脈に属し、北アルプスの中でももっともなじみやすく清々としている。その山容は美しい金字塔で、ウェストンも足を記している。麓の松本から見ると、その風景に見事にマッチしている。北アルプス表銀座からは大天井岳で稜線を分け、常念岳から蝶ヶ岳へと続く縦走コースは、雄大な槍・穂高連峰の景観を真正面の間近からながめることができる有数な展望コースだ。日本百名山に選定されている。
スポンサーサイト 晴れのち曇り 新宿駅(6:50)⇒(中央線、急行アルプス1号)⇒豊科駅(11:24, 11:40)⇒(タクシー)⇒一ノ沢林道終点(12:05)→一ノ沢河原(13:15) 早朝、急行アルプス1号で新宿駅を出発する。車窓から見える山々をそれぞれ指呼しながらやがて豊科駅に着く。石油10Lを買い入れ、タクシーで一ノ沢林道を行けるところまで入ってもらう。頭をぶつけるような道に入って、やがて大助小屋を見て、その少し先まで行くとタクシーを降りた。ここからは一ノ沢小屋まで林道を歩かなければならない。初日の主には身体にこたえる。やがて河原に降りたので今宵の幕営地とした。左手には、一ノ沢が大きな石の間をぬって流れている。夕食は、すいかやグレープなどのデザートも出て、盛大だった。 常念乗越付近に産声を上げる一ノ沢は、上流から比較的穏やかで悠々と流れている。初日の今日は、日ごろ慣れない重荷でみな息が切れたが、早々と露営準備に取り掛かっている。横では鍋から湯気が立っているが、しかしゆっくりした日だ。遠くに見えるのは横通岳だろう。天気も良い。梅雨が明けて間もない今、そらはぬぐいさられたように青い。今夜は、川のせせらぎを聞きながら楽しく過ごせそうだ。 晴れのち時々霧 一ノ沢河原(6:55)→山ノ神(7:05)→尾根取り付き(10:30)→常念乗越(11:55) 起床午前2時30分。空は星が輝き、山のさわやかな冷気で眠気も覚める。東の空がうっすらと明るくなり、目指す常念乗越も意外と近くに見える。もう朝か...どうも山の生活は慣れるまでつらい。暗闇の中にバーナーの青白い炎が見える。今日は、一ノ沢を遡り、常念乗越まで行かなくてはならない。あれこれしているうちに時計は7時になろうとしていて、あわてて出発する。 晴れのち時々霧 モルゲンロードに輝く槍・穂連峰を期待していたが、その前に水場に走らされて見ることができなかった。しかし、帰って来ると、くっきり鮮やかにそれらが聳え立っている景観が目に飛び込んできた。自然のみが作れる、実に巧妙な風物だ。まさに日本の山々の最高級のぶるいに入るだけある。天をつらぬくような槍ヶ岳、そして大キレットを隔ててき北穂高岳。初めて来たアルプスに来た時の鮮烈な印象を受けた時のことをを回想する。 日本第5位の高峰だ。富士山にも引けを取らない日本アルプスを象徴する有名な山となっている。 左から前穂高岳(3,091 m)、奥穂高岳(3,190 m)、涸沢岳(3,103 m)、北穂高岳(3,100 m)。山と言うより、壁といった感じだ。正面、緑がはげたところは屏風岩。カールなど氷河時代の名残が見られる。 晴れのち曇り 蝶ヶ岳ヒュッテ(5:10)→横尾分岐(5:30)→横尾(7:10, 8:00)→横尾本谷出合(9:05, 9:15)→涸沢(11:30) 稜線の上で御来光を仰いだ。今か今かと待っていて、そしてそれは真紅の鮮やかな光を発しながら昇って行く。と同時に、それは西の槍ヶ岳から穂高連峰に続く大きな壁を真っ赤に色付けていく。モルゲンロード。いつ見てもその美しい劇を見ると、身体に感動が走る。太陽が完全に登ってから、我々は出発した。横尾江の急坂は、実に足がガクガクする、樹林間から望む穂だあの岩々を頼りにぐんぐん高度を下げる。やがて梓川の懐かしい音が聞こえてくると、横尾山荘の前に出る。やあ、穂高が実に高くなった。昨年ここを通った時は、夢と思われた穂高に今、そこに向かおうとしている。せっかく降りてきた1,000m近くを今度は700mほど登り返さなければならない。 朝を迎えた。日の出にはまだ早いが、辺りはもう明るい。昨日越えてきた常念岳も高く頭を持ち上げている。 東の空が明るくなってきた。もう日の出も近い。山は赤く色付く。 日が昇った。山の一日は初々しく始まる。 さあ、今日から新たに、今回の合宿の最終目標である穂高岳へと歩を進める。 スポンサーサイト 行程概要
期日
1977年7月24日(日)~1977年7月29日(金)
日程
5泊6日
行程
-
メンバー
ワンダーフォーゲル部員11名
地図
松本・上高地(国土地理院)
交通費用
-
宿泊費用
-
コース
マップ
山行日誌
第1日:1977年7月24日(日)
天候
コース&タイム
食事
日誌
フォトアルバム
第2日:1977年7月25日(月)
コース&タイム
食事
日誌
一ノ沢に沿った古い道は、何せ歴史が秘められている。ゆるやかな登りを続けると、山ノ神を過ぎ、親子岩と書かれたペンキ印を見る。地図上では大分来たようだが、まだまだ先は長い。急登ならばゆっくりも登ろう。しかし、重荷を背負ってのだらだらした登りは一番こたえる。王滝の水場を過ぎると、道はやや角度を増すが、依然として一ノ沢は岩頭の様子を示さない。胸突き八丁の指導票を見ると、道は急激な登りとなり、今までのだらだらした登りと違って息苦しくなってきた。また河原に一度降り立ち、左手の小尾根に取り付く。距離は短いが、なかなかの急登だ。沢道の特徴として、最後の稜線までの登りが苦しい。息を吐きながらひたすら登る。やがて小広い台地に着き、ようやく常念乗越にたどり着いたことを知る。思わず視界が広がり、すぐそこに槍の穂が雲に見え隠れしている。そう、ここからはもう北アルプスの稜線の一角である。昨年の今頃、あの槍からこちらを見た、いや見ざる得なかった。南の方向、そう空の中に延びる道は、明日我々が向かう常念岳へと道が続いている。 しかし、ひょっこりと飛び出した常念乗越からは、霧に見え隠れしながらも槍・穂連峰が見事だった。一ノ俣川へ往復30分で水場がある。南の方角を見ると、明日登る常念岳への道がジグザグしながら上へと向かっている。どうも富士の登山道と似た感じを受けた。ああ、寒くなってきた。もうここには日本アルプスの風が流れている。第3日:1977年7月26日(火)
コース&タイム
食事
日誌
さて、ぐずぐずしないで出発するとしよう。岩のゴロゴロした道を常念岳へと向かう。一歩一歩高くなるにつれて状ね小屋は小さくなっていく。頂上にたどり着くと、先ほどは見えなかった奥穂高岳から、乗鞍岳、木曽御岳山、大天井岳、水晶岳、薬師岳と視界が広がる。今、あの山の形ではすっきりとした、いわばイケメンである常念岳の蝶に立っているのだ。この形の整った三角錐という点では、天か一品だろう。ところで、目を蝶ヶ岳の方に移すと、もうその前のくぼみは雲が行き来している。常念岳頂上を後にして急な道をぐんぐん下って行くと、いくつかの露岩を見る。途中、すれ違った登山者が、梓川の方へザックを落としたのを見た。可哀そうに、ハイマツの急斜面を下りて、必死にザックを探し回っていた。ちょっとした気のゆるみからも、つまらない事故を起こす。
小さなピークを一つと、大きなピークを一つ通って、御花畑の中を道は通っていく。ニッコウキスゲとミヤマキンバイだと思ったが...蝶ヶ岳へは、短い急登を喘ぐと、蝶槍の前を通り、草原の中を歩いて行くようになる。右手には穂高連峰がさらに大きく、その険しい岩肌を露出している。もう、蝶ヶ岳ヒュッテの先の幕営地に着いた時には、足も疲れてしまっていた。夕方近くになるとどこからともなく雷雲が接近し、一雨、二雨と降らして去って行った。あとで聞くところによると、槍ヶ岳などここより高い所ではひょうが降ったそうだ。フォトアルバム
第4日:1977年7月27日(水)
コース&タイム
食事
日誌
橋を渡って、キャンプ場をぬって歩く。傾斜は少なく、歩きよい道だ。少し行くと河原に出て、横尾岩小屋の手前を通ると、山腹を巻く道となる。左に巨大な屏風岩を見て、やがて橋で対岸に渡る。ここから道も角度を増し、太陽をまともに受けながら歩く。大キレットがいつしか右の方になったころ、川沢カールが豊富な残雪を置いて見えてくる。最後に雪渓を登り詰め、石段を行くと、涸沢ヒュッテの前に出て本日の行程が終了となる。夏スキーのゲレンデが出来るほど雪が多いのだから、空気も冷たい。頭上には、北穂、涸沢槍、涸沢岳、奥穂、前補そこからノコギリ「のような北尾根と、三方山に囲まれている。天幕の数は多いが、下は医師で敷き詰められていて寝心地はいと悪しであった。常念岳・蝶ヶ岳をもっと知るためのウェブサイト
常念岳
蝶ヶ岳
常念岳・蝶ヶ岳をもっと知るための本、地図、ガイドブック