startearsの山旅日誌

再び山歩きが出来るようになることを夢見て..

残暑厳しく体調不良で登った 上州武尊山(2,158 m) ●●★★

上州武尊山(2,158 m)とは

武尊山の山名は日本武尊からきたとされている。古くから信仰の山であったようで、最高峰には御岳山大神と刻んだ碑が奉られているほか、剣が峰の頂に普寛霊神が祀られてある。武尊山の信仰登山の表口は花咲のようだ。何でも村の端の小祠には、以前は武尊講の札がたくさん掛けてあったそうである。この登山道の途中には石仏が二基あり、その一つの背には御山開閥木食上人普寛行山の文字が認められたそうである。から、武尊山の開山者は普寛上人のようである。

僕は、この山に登る計画を2年も前から具体化していた。しかし、同行者が得られない点と、山中一泊を必要とするので、その案は実行されなままでいた。しかし、僕はこの山にあこがれた。それは、他の山から眺めたわけではない。故深田久弥氏の分泌にあこがれを感じたのであり、またこの山のガイドブックを読んでさらに憧れを強め、地図でその気持ちが固まったのである。

地図で?それは、この山はどっしりと腰を据えた独立火山であって、しかしその頂上部は、沖武尊、川籠岳、家の串、剣が峰、前武尊などの2,000mをいずれも下らない峰々から成る。2,000mというと谷川岳より高い。しかも、ここから谷川岳は目と鼻の先である。しかし、多くの人々は谷川岳という名に魅かれ、この山はひっそりと孤立している。素朴さと、雄大さの2つに加えて、厳格さを感じさせる男性的山容を写真で見たりすると、僕はこの山に魅了されてしまうのである。

 

 

 

 

 

 

 

行程概要

期日 1979年9月22日(土)~9月23日(日)
日程 1泊2日 行程
  • 第1日:3時間20分
  • 第2日:5時間50分
メンバー 単独
地図 藤原・追貝(国土地理院
交通費用 5,900円 宿泊費用 0円(手小屋沢避難小屋)

参考資料(バス時間)

下記は当時のMEMOです。こちらが現在の交通機関の情報となります。

武尊登山口⇒川場 川場⇒沼田駅

16:50⇒17:05

18:35⇒18:50

13:10⇒14:10

14:40⇒15:40

17:05⇒18:05

18:50⇒19:50

             アクセス

●バス:

上州武尊山MAP

上州武尊山MAP

山行日誌

1979年9月22日(土)

天候

晴れ、時々曇り

コース&タイム

上野駅(6:53)⇒(上越線、急行ゆけむり1号、¥1,800(¥600))⇒水上駅(9:36)⇒(東武バス(¥550)⇒久保(10:22)→[0:50]→上ノ原山の家(11:18, 12:10)→[2:00]→名倉ノオキ(14:36, 14:46)→裏見ノ滝分岐(15:06)→[0:30]→手小屋沢避難小屋(15:10)

食事

  • 昼:ビスケット、紅茶
  • 夕:カレーライス、スープ、紅茶

日誌

9月下旬だというのに、その日は異常に暑苦しかった。藤原湖のダムを通って久保の郵便局の前でバスを降りたのまではいいが、その後は木陰もない、直射日光の燦燦と照り続け、しかも固いアスファルトの歩きにくい道を上ノ原山の家まで歩くのは辛かった。朝飯をろくに食ってこなかったのも響いて、汗がどくどく出て水を欲し、しかも主にも体力の出て行くのに手を貸し、山の家に着いた頃には予想以上のenergyを費やしたことを自覚した(今から思えば、軽い熱射病の症状だったように思う)。そこでenergyの補給にと昼飯の握り飯を開いたが、これも暑さで糸を引いていたのでやむなく捨てることにした。山の家のオバチャンに何か出来ないかと尋ねたが、季節がら出来ないという。それでザックよりビスケットを取り出して口に含んだが、喉の渇きでろくに食べる気がしない。しかし、数個のビスケットを紅茶で胃の中に流し込んでから、腰を上げた。

武尊山へのアプローチは長い。工事中のほこりっぽい道をしばらく行くと、上ノ原の高原に出る。今はもう小麦色が鮮やかだ。これから名倉沢沿いの道を行くのだが、身体が思うように動かない。「この暑さのせいだ。」と思って、空を見上げてもどうしようもない。もう源頭も近いなと思ってから、相当あったように思える。最後の子尾根に取りついたときは、足の筋肉が弱っていた。「暑い上に、風もない。この時期にしてはおかしいな」と、先ほどから案じてたように夕方頃から雲が出てきた。遠くでは雷の音までする。一雨 来る前に、手小屋沢避難小屋まで入ろうと気がせいた。ようやく名倉ノオキと呼ばれる尾根の鞍部に着いた時は、ほっと一息入れた。ここからは平たんな道を30分ほど歩くと、避難小屋が見える。丸太組みの小屋で、下は土の簡単なものだが、そばに水が得られるのはありがたい。今日は疲れた。飯を食ってゆっくり休もうと寝袋に入った頃には、雨音が聞こえていた。同宿の3人のグループは、ビールを飲みながら山の話をしているようであった。

1979年9月23日(日)

天候

朝のうち雨、のち曇り

コース&タイム

手小屋沢避難小屋(6:35)→[1:30]→藤原武尊(8:05, 8:15)→[0:30]→沖武尊山(本峰)(8:30)→川場太郎→沖武尊山(9:42)→藤原武尊(9:55)→[1:20]→手小屋沢避難小屋(11:25, 12:47)→[0:20]→名倉ノオキ(13:10)→[1:20]→上ノ原山ノ家(14:37)→[0:50]→久保(15:37, 16:02)⇒(東武バス、(¥550)⇒水上駅(16:38, 17:14)⇒(急行ゆけむり10号、¥1,800(¥600))赤羽駅(19:40)

食事

  • 朝:お茶漬け、缶詰、スープ
  • 昼:焼きそば、紅茶
  • 夕:列車内で駅弁

日誌

翌日、目が覚めると雨がまだ降り続いていた。そこで、天気の様子を伺いつつ、軽装で頂上を往復することにした。計画では、前武尊を越え、川場の方へ行く予定であったが、前日の身体の不調と体力の消耗が僕を弱気にした。

藤原武尊までは、しばしの急登を喘がなければならなかった。途中には岩を攀じ登る所もあるが、大したことはない。藤原武尊からは緩い登りで沖武尊の頂上に着く。そこでしばらく休んだ後、川場太郎という小岩峰で日本武尊銅像を見物して、再び沖武尊の頂上へと戻ったら、例の3人のグループが到着していた。聞くと、川場まで行くという。僕は、何とも言い難い神教で彼らを見送らなければならなかった。その後である。雨はすでに先ほどから止み、雲が切れて日光が差してきた。谷川連峰も見える。それは予定変更を決した意思に大きな後悔の念をもたらした。弱気がもたらした敗北である。悔いの残る頂上を後にして、手小屋沢避難小屋に戻った時は沈み切った心境にあった。もはや結論はこうである。「また来よう、それも近いうちに」。上ノ原に降りた時には、もう日が西に大分傾いていた。

フォトアルバム

上州武尊山山頂からの展望

上州武尊山山頂からの展望
上州武尊山山頂にある日本武尊の銅像
上州武尊山山頂にある日本武尊の銅像

川場武尊にある日本武尊銅像

山頂の表示板

山頂の表示板

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上州武尊山をもっと知るためのウェブサイト

登山ガイドブックと言えば、昔から「ヤマケイアルペンガイド」でした。現在では、山と渓谷社のYamakei ONLINEに、その情報や地図が無料公開されて大変ありがたいですが、やはり本を読む時ならではのバーチャル登山の妄想が楽しいものでもあります。

上州武尊山をもっと知るための本、地図、ガイドブック

谷川連峰から苗場山武尊山までカバーする定番の登山地図です。現在ではスマホのアプリ(お勧めアプリ:山と高原地図)でもコースや大体の現在が見られるようになって大変便利になりましたが、落としたりなくしたり、電池切れなどの時にコースが確認できなくなって途方にくれなくならないよう、現地地図と磁石は必ず持参しましょう。地図と磁石がないと、山でスマホの機能を喪失したら、遭難にもつながる危険性がありますので。

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