富士山(3,776 m)登頂 ●●★
行程:1泊2日(8合目山小屋仮眠)
メンバ:父と2人
期日:1975年7月30日~31日
天気:快晴
費用:不明
コース:新宿⇒(直通急行)⇒河口湖⇒(バス)⇒5合目→富士山→5合目
⇒(バス)⇒河口湖⇒(直通急行)⇒新宿
思えば、我が人生において山に誘われたのは、中学2年の時に亡き父と二人で登った富士山がきっかけとなったのは疑う余地がない。それまで、山は少しは登ったろうが、記憶にはない。
新宿から河口湖行きの直通急行に乗る。バスで5合目まで上がる。ここから山頂まで約3時間。頂上まで広い山道が通っている。
6合目の小屋は近かった。6合目からは登りが急になった。
7合目は意外に遠く感じた。日も暮れた道を歩いて行く。所々に小屋の光が見える。単純な登りだ。8合目の小屋が見えると、登山客の姿を多く見かけるようになる。
山小屋には、日暮れ過ぎに到着した。そこで出された質素なお弁当の夕食と、寝返りも打てないような窮屈なスペースの雑魚寝して仮眠を取る。寝相の悪い奴の隣になると死だ。
早朝、とはいえあたりはまだ暗いが、富士山頂に向けて出発する。大分登ったつもりでも9合目は遠い。明け方近くになってやっと本8合目。
を過ぎたあたりからは少し歩けば息苦しく感じる状態だった。
辺りが明るくなり始めた頃、8合目半に着く。途中に、胸突き八丁とか呼ばれる岩のゴロゴロしたところがあって、そこらからは空気が明らかに薄くなった。惜しくも山頂を手前にして朝日が昇った。しかし、あたりは一面広大な景色で、天気にも恵まれ見渡す限り、なにもかも新鮮に見えたのを覚えている。
辺り一面が紅色に染まったかと山中湖の上から太陽が顔を出した。その時が、初めて日の出を目にした時で、澄んだ空気の中で、忙しく呼吸をしながらも感動のひと時だった。TVや写真ではなく、世の中に、こんなシーンがあったのかと、まさに天上の世界にいるような、意識がぶっ飛ぶような光景だった。今でも、その時のことは忘れない。おそらく、その後の人生で山歩きに憑りつかれたのは、まさしく日本一の山である、その時の富士山からの誘いがあったからだと思う。
![富士山9合目付近から](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/S/Startears/20191024/20191024231825.jpg)
![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/S/Startears/20191024/20191024231814.jpg)
あっと言う間に、雲が湧いてくる。しかし、ここは雲の上。雲が眼下に見下ろされるのは、異様な印象を受けた。9合目からは、さらに息苦しくなった。少し歩くと心臓が厚くなってくる。
![富士山頂にて](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/S/Startears/20191024/20191024231847.jpg)
![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/S/Startears/20191024/20191024231837.jpg)
山頂の本社に着くと、人だまりができていた。父は遅れていたのでしばらくそこで待った。自分もちょっと頭痛などの高所障害が出ていたが、父は結構ひどかったように見える。それでも頂上で合流し、火口を前に記念撮影を行った。背景は気象台のある剣が峰の最高地点だが、父の体調も振るわず、お鉢巡りは断念し、下山の途に就いた。下りは「砂走り」と名づけられたザラザラしたルートをずり落ちるようにして下った。高度を下げると、じきに高所障害は解消したが、父はひどい高山病にかかり、食べた物を全部だしてしまった。しばらく回復に時間がかかり、途中何度も休みを取りながら下山した。父を必死に元気づけながら降りる。やっとで6合目の小屋を見つけたころはほっとした。父を5合目の赤十字病院で2時間ほど寝かせた。
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