八ヶ岳 蓼科山(2,530m)・大河原峠 ●●●★★△▽
蓼科山(2,530m)とは
蓼科山(2,530m)は、古い本によると、浅間山を北武とするのに対し、南岳とされた昔ながらの名山です。立科とか、諏訪富士とも呼ばれたそうで、複式火山で頂部はなるほど円錐の形をしている。北八ヶ岳と尾根続きなので、その一部と見なせますが、ひと際抜きんでているので独立峰的存在です。北佐久川は高原を呈しており、また西側はその余勢で広大な高原、すなわち霧ケ峰を作っています。また、諏訪側は蓼科高原となり、そこは温泉が噴き出し、今では全国有数の観光地帯となっています。またここには、有名な歌人も訪れ、秀でた歌を残しています。
下記は当時のMEMOです。こちらが現在の交通機関の情報となります。 15:05⇒15:43 16:45⇒16:52 17:55⇒18:02 18:14⇒18:55 19:15⇒19:53 ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ スポンサーサイト 晴 新宿駅(0:30)⇒(中央東線、急行アルプス54号、\1,500(\500))⇒茅野駅(4:45, 6:00)⇒(諏訪バス(\600(\100)))⇒親湯入口(6:40)[0:10]→親湯(6:50)[1:20]→寺小場(7:50, 8:00)[2:30]→2,161m高地(9:05, 9:20)→蓼科山(10:55, 11:50)[0:30]→将軍平(12:20)[0:40]→大河原峠(13:20, 13:45)[0:40]→天祥寺原(14:25)[2:00]→竜源橋(16:05)[1:00]→親湯(17:15)→蓼科温泉プール平(17:25, 17:55)⇒(諏訪バス(\600(\100))⇒茅野駅⇒(中央東線、急行アルプス6号(\1,500(\500))⇒新宿(21:36) 茅野から八ヶ岳のすそ野をビーナスラインが通る。バスは右手に八ヶ岳連峰、時には南アルプスや中央アルプスの山々を望み、やがて親湯入口に降り立つ。 計画段階が良かったせいか、十分満足した山行だった。蓼科山へのルートを考えると、今回のルートは最良ではないかと思う。体力が低下気味だが、それもそれほど問題にならなかった。細かい反省点はいくらかあるとは思うが。支障を来すたすことはなかった。晴天だったので良いが、何分、キリなどがかかっていると迷いやすい地形である。今後の八ヶ岳へのきっかけになりそうだ。 ※ ●は使用した装備 スポンサーサイト 左:寺小場より八ヶ岳連峰 涼しい風が吹きつける。都会はもう春の陽気に満ち溢れているのに、八ヶ岳はまだ冬から脱しきれずにいるのだろうか 右:2,161m高地より 憧れの南アルプス。わ~高いわあ。白き雪をいただいた連邦は絶品だ。いつになったら、あの頂へ立てようか。 左:蓼科山頂(2,530m) 山頂の火口付近は雪田と化していた。汚れのない雪の中をしばしたたずんだ。 右:女の神山の蓼科われは 百円玉を奉納した。火口の真中に作られた社は、山岳神教の尊さを察せられる。それにしても、最良の日を与えてくれたことに、感謝感激ヾ(o´∀`o)ノ 左:山頂より霧ケ峰、白樺湖 ああ、ジーンズとTシャツ、サングラスをかけて霧ケ峰でも散策したい。 右:山頂より八ヶ岳連峰 来年の連休は、八ヶ岳縦走を仕組む立場になりたいものだ。 左:将軍平より ま、まろやか。白い衣を冠り、女神は羞恥心と包容力をお持ちになっておられるようだ。 右:北八ツ散策 雪の絨毯の上を歩くのも悪くない。時々、ズボっと足が潜るのも楽しい。静かな春のひだまりの中で、一人幼げに雪と戯れていた。しかし、ガスにまかれると迷い易く、注意を要するだろう。 左:大河原峠 明るい野原に出たと思うと、そこは大河原峠だった。あまりに気分が良いので、深呼吸した。 右:大河原峠より 天祥寺原より蓼科山 天祥寺原より横岳 北八ヶ岳のフィールドのポイントは森林にある。そして、山のポイントの一つに横岳がある。Perhaps、山の裏側は観光客で賑わっていることだろう。 左:静かな池が、2つ、3つと点在する。 右:大河原 水のしずく一滴に、そこに広がるメロディーを醸し出す。海で蒸発した水は、雲となり、雪となり、その一滴がこの池に散る。池の水は、小沢を作り、大河となってまた海に還流する。今、その一滴を、そっとすくい上げ口に含んだ。冷たさが、腹の中に広がっていった。 スポンサーサイト行程概要
期日
1978年5月3日(水)
日程
前夜発日帰り
行程
8時間40分
メンバー
単独
地図
蓼科山(国土地理院)
交通費用
宿泊費用
5,400円(2,990円)
参考資料(バス時間)
プール平⇒茅野駅
⇒
アクセス
蓼科山(2,530m)・大河原峠MAP
山行日誌
1978年5月3日(水)
天候
コース&タイム
食事
日誌
親湯も大分開けているが、橋を渡って山道に入ると静かな風の音しか聞こえない。霜が立つ道を登って行くと、やがて車の音がするようになり、寺小場に出る。八ヶ岳連峰は、今だに雪を着け、豪快にうねっている。蓼科山はほとんど残雪は見られないが、非常に高く見える。
再び山道に入り、横岳を睨みながら歩くと、まず複式火山の下の円錐部に当たる急登が始まる。所々の露岩を乗越し、ぐんぐん高度を上げる。霧ケ峰はもう目の下だ。雪をいただいた峰々、甲斐駒、仙丈、木曽駒などの山々を見ながら、2,161m高地の岩の下に出る。正面に蓼科山が大きく立ちはだかり、さいごの急騰を喘ぐことを強いられる。これからが上の円錐丘だ。残雪を渡り、この坂をゆっくり歩を運んで行くと、6合目の印を見て、しらびそ林に入る。そこを抜けると森林限界に至り、岩を積み重ねたような頂上の真下に出る。右へ右へ回り込んで、雪田をトラバースすると、蓼科山荘の前に出て、山頂に着く。
山頂部は広く、一等三角点や社殿、展望盤が散在し、中央部は自然庭園のようになっている。社殿には100円玉を奉納し、展望を十分に味わった。北アルプスの槍・穂も懐かしく、未知なる南・中央アルプスには登志?を燃やし、また、八ヶ岳、泡間山、木曽御嶽山、我が未踏峰登山予定をにぎわす雄峰がいくつも転がっているから楽しい。カップ焼そばを食いながら楽しい1時間を過ごし、大河原峠に向かう。
ところで、北八ヶ岳に入るとどきもを抜かれた。なんと反対側では、山スキーを楽しんでいる人がいるではないか。いささか期待外れの残雪量に物足りなかったが、山半分北側では膝まで潜るほどの雪が豊富にあった。スキーヤーは、シュ、シュっとカイテキな音を奏でてシュプールを描くが、いささか出遅れた僕は、スパッツを着けて急斜面をキックステップ。果ては、いいかげん疲れて尻制動に変えて暖かい春の日の中で山を滑り降りた。将軍平まで降り、次には北八ヶ岳独特の森林地帯の中を、時にはズボ、ズボと足を雪の中に埋めて彷徨した。
大河原峠は、明るく開けていて、のんびり昼寝でもしたい所だ。フルーツに特製ウイスキーティーを飲み食いしながら、周囲の眺めに満足する。こうなると腰を上げにくいものだが、帰らなければならない。
滝ノ湯澤に向かって下降するが、季節がら道の状態が良くない。雪を踏みぬくと、下は水が流れているし、所によっては道が沢になっている。はじめは靴をぬらさぬように努めたが、靴を信頼して、しまいにはジャブジャブ水につかりながら歩きだす。しかし、goroのオーダーメイドの登山靴にはさすがに水は侵入しなかったようだ。少し下ると、辺りは広い原っぱになる。ここが、故深田久弥氏の推す天祥寺原だ。なんでも、きめ細かい日本的な腹だそうだが、何とも僕はそこまで見とる美的感覚には恵まれなくって、ただなるほどと思い見渡すだけだが...
長い下りを続けると、沢は福龍となり、小池の装いを見せる。ジグザグの坂を下りると、ビーナスライン、竜神橋に出る。一息着いて、残光を浴びながら親湯への道を辿る。振り返ると蓼科山は、僕の頭よりはるか高くにあり、大河原峠は、横岳と蓼科山の間に深く落ち込み、草原を作っていた。
茅野駅に着くと、以前守屋山に登った時も食った駅そばを食い、期待以上の成果に夢見心地だった。蓼科山のような名山を味わうには、3時間の登りに耐えただけ感激も大きく、あまりインチキしてバスで七合目や大河原峠に入るのではもったいないのではないかと思ったり、大河原峠からの長い下りも、また降りてしまえば良く思えたりして、ああ、これだから山旅は楽しいものだと自認するのであった。感想と反省
持参した装備
アタックザック ×1
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ショートソックス ×1
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白金カイロ ×1
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行動食 ×1
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軍手×1
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カッターシャツ×1
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ベンゼン燃料×1
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食料3食分×1
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薄手手袋×1
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ニッカズボン×1
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裁縫セット×1
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ロングスパッツ×1
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ウール手袋×1
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goro登山靴×1
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ライター×2
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ロングスパッツ
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ウール帽子×1
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コンパス×1
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固形燃料(中)×1
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身分証明書
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つば付帽子×1
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ヘッドライト1
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コッフェル×1
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費用・予備費×1
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セパレート雨具×1
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予備電池
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靴紐予備×1
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救急具×1
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ウインドヤッケ×1
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武器(スプーン・フォーク)
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地図×1
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テルモス×1
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ポンチョ×1
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マット
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時計×1
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ビニル風呂敷×1
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タオル×2
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ポリタン2L
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カメラ×1
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セーター×2
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七徳セット×2
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フイルム×2
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チョッキ×1
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キジペ×1
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ボールペン×1
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ニッカホース×2
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細引(6mm×10m)×1
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非常食(3食分)×11
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写真集
関連サイト